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2025年度第3回授業 

映画を彩るトリック

〜監督が教える特撮の裏側〜 

 

 

田口 清隆(たぐち・きよたか)先生

映画監督

令和7年10月26日(日)14:00―16:00

横浜市立大学シーガルホール(横浜市金沢区)

受講者70人(4年生22人、5年生36人、6年生12人)

 

(以下、授業要約)

――映画の道へ

私が初めて映画を撮ったのは中学生のときです。北海道で育ったのですが、中学生のころから自主映画を作るようになり、高校を卒業するまで放課後に友だちを集めては映画を撮り続けていました。進路を選ぶときも映画を仕事にしようと決め、東京の映画会社系の専門学校で学びました。なによりゴジラ映画が好きだったのですが、その学校は毎年ゴジラ映画の制作現場で実習ができることを知ったからです。実際、入学したその年に『ゴジラ×メガギラス』という作品の現場に行けました。それ以降そのままスタッフとして映画に携わり今に至っています。その間、ウルトラマンや戦隊もの、ライダーものに多くかかわり、2009年に監督デビューを果たしました。今も、テレビ東京系で毎週土曜の朝に放送されている『ウルトラマンオメガ』を撮り続けています。アニメの仕事もしていて、この間放送が終わった『クレバテスー魔獣の王と赤子と屍(しかばね)の勇者』という作品でも監督を務めました。。

 

――「特撮」の誕生

「特撮」という言葉を知っていますか。「特殊撮影技術」の略です。普通のドラマなら、二人の登場人物の映像を撮りその会話を録音すれば作品になります。しかし、もしも登場人物の片方が突然怪物に変わるという設定だったらどうでしょう。ありのままに撮影したのではそんな映像は撮れません。そこで特殊な撮影方法が必要になるのです。たとえば、仮面ライダーが「トォーッ」と叫んだ次の瞬間に仮面をかぶった姿に変身する、あるいはそれまで普通の大きさだった生物が突然巨大化する、といった見せ方です。巨大化の場合はあらかじめミニチュアを使って撮っておいた映像と組み合わせます。そういった普通とは違う特別の撮り方をしなければならないから「特撮」というわけです。

特撮技術は日本だけでなく世界中で受け継がれていますが、元祖とも言うべき円谷英二(つぶらや・えいじ)という人によって作り出されました。日本初の特撮怪獣映画『ゴジラ』を撮った監督です。この映画には人間のドラマ部分を撮る別の監督もいたのですが、人間を襲ってくるゴジラのパートを担当したのが円谷監督です。当時の技術の粋を集めてミニチュアで街などのセットを作り、着ぐるみのゴジラを登場させました。今から約70年前1954年のことです。現在もウルトラマンシリーズを制作している「円谷プロダクション」という会社の創業者でもあります。円谷監督は実は戦時中の戦争映画でもミニチュアを使って飛行機の爆撃シーンなどを撮影していました。戦後になって「戦意高揚映画に協力した」という理由で公職追放にもなりました。映画を作ったことで公職追放になるというのは珍しいケースですが、それだけ特撮の映像が精巧でリアルすぎたということだったのでしょう。

 

――技術の進歩

 当時はたとえばゴジラが口から火を吐くシーンは、別に撮った煙の映像を合成したり、フィルムに直接手書きで加えたりしていました。今は技術がどんどん進化してきています。最新作の『ゴジラ.0』は着ぐるみやミニチュアを使わず、すべてCG(コンピュータ・グラフィックス)で表現しています。

 私はミニチュアでもCGでも撮りますが、ミニチュアを使う作品のほうが好きです。『ゴジラ−1.0』のような大作をCGで作るにはものすごくお金がかかりますが、ミニチュアなら低予算で作れるからです。70年前の『ゴジラ』の円谷監督は当初、1933年のアメリカ映画『キングコング』と同じようにコマ撮りで作りたかったようです。コマ撮りとは、静止した人形を少しずつ動かして写真を撮り、それを連続再生して動いているように見せる方法です。しかし、このやり方はすごく時間がかかります。時間がかかればそれだけお金もかかります。そこで、予算内で最もスピーディーに作れる方法は何かと考えてたどり着いたのがミニチュア特撮だったのです。円谷プロではその方法が引き継がれたので、今もウルトラマンシリーズではミニチュア特撮が採用されています。

 

――「25分の1」という規格

 きょうはビルのミニチュアを持ってきました。90年代半ばの『ガメラ』シリーズで使われたものです。木で作られていて倒しても転がしても壊れないほど頑丈にできています。このミニチュアは、実物の25分の1の大きさで作られているのですが、この大きさには理由があります。ゴジラの着ぐるみは約2メートルです。人間が中に入って演技するにはこの大きさが限界です。ゴジラは身長50メートルという想定になっています。50メートルの着ぐるみを作るのは無理なので、2メートルを50メートルと見立てる、想定するわけです。それに合わせてビルなども実際の25分の1のサイズで作るのです。この縮尺は最初のゴジラ作品から採用されていて今でも主流です。そう決めておけば、一度作ったミニチュアを次の作品でも使うことができて予算も削減できます。

 ですから歴代のウルトラマンや怪獣たちも長い間ずっと身長50メートルという想定になっていたのです。ところが最近は東京都庁や新宿のビル群のように高い建物が増えてきました。仮に都庁舎を25分の1で作ろうとするとこの会場の天井を突き抜けるくらいの高さになってしまいます。そんなミニチュアを作るのは大変です。そこである時期からゴジラの想定身長を100メートルとし、それに合わせてミニチュアの縮尺も50分の1に変えました。今は作品によって25分の1と50分の1を使い分けていますが、時代に合わせて特撮の世界も変化してきているのです。

 

――特撮を支えるさまざまな役割

 特撮には多くの人が関わっています。建物などのミニチュアを作るのは美術部、怪獣やウルトラマンなどは造形部がデザインから作り上げます。それをカメラに収めるのが撮影部。照明部はライティングを担当します。撮影は室内で行うことが多いので、外の太陽の光や明るさを再現するのです。操演部は破壊されたビルの破片を飛ばしたり、煙を焚いたりして映像のリアリティを演出します。画面の外からピアノ線で引っ張って動かないものを動かすワイヤーアクションも操演部の仕事です。他にもたくさんの役割があるのですが、大きく分けてこの五つのパートが組み合わさって特撮が出来上がっています。

ここで短い映像を見てもらいます。私が中学時代に撮ったものです。そのころ日本映画で一番ヒットしていたのは『ゴジラ』シリーズでした。毎年正月に新作が封切られていて、私はそれを見て怪獣映画にはまりました。それで自分でもウルトラマンの映画を作りたいと思い、中学3年のとき、友だちから家庭用のビデオカメラを借りて放課後に二人でウルトラマンを真似て撮ったのです。私が中学生のころどんなウルトラマン映画を作っていたか、2分間ぐらいの短い映像ですが見てください————

————布をかぶって怪獣を演じていたのが私、お面をつけてウルトラマンに扮していたのが友人です。二人しかいないので演技も撮影もしなければいけませんでした。今見るとひどい映像ですね。こんな映画を作っていた少年がやがて専門学校に進み、ゴジラの撮影現場に出入りするようになりました。その間も仲間たちと自主映画を作り、その作品が認められて29歳で監督になり、それ以降ずっと監督をやっているのです。好きなことを頑張ってやり続けるとかなう夢もある、ということです。

みなさんはもうウルトラマンは卒業したかもしれませんが、テレビでは今も放送が続いています。私はもう13年もウルトラマンを撮り続けています。ぜひ見てください。

ということで講義はここまで。後半はみなさんと一緒にミニチュアセットを使って実際に特撮映画を撮ってみたいと思います。

 

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――特撮映画を撮ってみよう

授業の後半は、学生たちが怪獣役や助監督、美術、操演、撮影の各担当を務め、「街に怪獣が現れて暴れている」という設定で特撮映画作りに挑戦しました。

まず美術担当がダンボール箱で作ったビルのミニチュアをステージ上に並べました。田口先生がカメラを通した映像を見ながら、本物の街らしく見えるように置く位置や角度を細かく指示します。ビルとビルの間にはミニカーも並べました。操演担当は、ちぎって丸めた新聞紙を手にビルの裏に隠れてスタンバイ。これを放り投げて怪獣に壊されたビルの破片を表現しようというわけです。カメラに映り込まないように注意しながら怪獣の動きに合わせてタイミングよく放り投げなければなりません。

助監督は実物のカチンコを持ってステージ下に控え、監督の指示を受けて「カチン!」と撮影開始の合図を出します。撮影担当がカメラを回し、先生が持ってきてくれた着ぐるみの頭と手を身につけた怪獣がミニチュアのビル街をのっしのっしと歩いて「ワオーッ」と雄叫びを上げながら建物を破壊します————何度か稽古を重ねた末に最後の映像を撮り終えて、助監督が「カット」のカチンコを鳴らすと、参観の保護者からも大きな拍手が起こりました。