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2025年度第1回授業 

なぜヒトは生物として学ぶのだろう?

 

 

安藤 寿康(あんどう・じゅこう)学長

慶應義塾大学名誉教授

令和7年6月8日(日)14:30―16:30

横浜市立大学カメリアホール(横浜市金沢区)

受講者81人(4年生29人、5年生38人、6年生14人)

 

(以下、授業要約)

――はじめに

きょうの授業のタイトルは「人間」ではなく「ヒト」となっています。どうしてわざわざ片仮名で「ヒト」としたのか、その理由は人間を生物の一種、動物の一種として考えるためです。ヒトが他の動物とどう違うのか考えようということです。

その手がかりとして、みなさんに最初に考えてほしいことがあります。この「子ども大学よこはま」は、なぜあるのでしょう。そして、みなさんは、なぜここに来てくれたのでしょうか。

――――いろいろな答えが出ましたが、実はこの問いには正解というものはありません。小学校から高校までと違って、大学で学ぶのは答えのないことばかりです。自分で考えること、そしてこれが本当の答えだと思えるものを自分で見つけ出すことが、むずかしいけれども大事なことなのです。

 ちなみに、私の考えた答えはこうです。まず、子ども大学をつくったおとなたちがいます。多分、そのおとなたちは子どもたちがここに学びに来てくれるという確信があったからつくったのでしょう。そして、一方に知的好奇心を持っているみなさんのような人たちがいます。さっきみなさんからの答えにあったように、中にはお父さんお母さんに促されてきた人も確かにいるでしょう。しかし、みなさんは横浜市内に何万人もいる小学校4〜6年生の中から、なんらかの理由で選ばれてここに集まっている、つまり自然に選別が行われてここにいるのです。

 

――動物も学んでいるか?

 さて本題に入って、まず学ぶということについて考えてみましょう。ヒトは学名で「ホモ・サピエンス」と言います。ラテン語で「知恵のあるヒト」という意味で学習する動物と言われます。では動物も学んでいるのでしょうか。

 普通「学ぶ」というと机に向かって学校の勉強をするイメージですが、動物には生得的(せいとくてき)行動というものがあります。生まれた時から備わっている行動のことです。たとえばイヌはよく人の手をなめますが、あの行動は何かから学んでしているのでしょうか。どうも違うようです。また、ウサギが穴を掘ったり、クモが巣を張ったりするのは、生きるためにとても大切な行動ですが、あれも誰かに教わってやっているわけではなさそうです。それが生得的行動です。本能と言い換えてもいいでしょう。

 では動物に何かを教えることはできるでしょうか。みなさんも知っている通り、イヌはお手を覚えますし、水族館のイルカは芸当を見せます。あれは生得的行動でではなく、訓練することでできるようになる行動です。訓練によって新たなことができるようになる。つまり動物はあまねく学んでいると言えそうです。

たとえば、原生生物のゾウリムシについてこんな実験が報告されています。ゾウリムシは水中を泳いでエサを探します。どこにエサがあるか、どこが生きるのに快適な場所かを探すわけです。これは生得的行動です。そのゾウリムシを小さな器に入れて一定時間泳がせてから、次により広い器に移します。するとゾウリムシは最初の狭い器の範囲でしか動きません。最初の器が丸ければその丸い範囲で、最初の器が四角ければその四角い範囲でしか行動しないのです。これはゾウリムシが最初の器の中で行動した経験によって安全な範囲を理解した、つまり学んだからだと考えられています。最も単純な生き物とされる単細胞生物でさえ学ぶのです。経験によって行動が変化すること、知識を獲得すること、これを心理学では「学習」と言います。

 

――動物は教えているか?

単細胞ではなくもっと複雑な動物の学習能力について、映像を見ながら考えてみましょう。チンパンジーの事例です。チンパンジーは約600万年前に共通の祖先から分岐したと考えられる、ヒトに一番近い動物です。そのチンパンジーの母子に、京都大学霊長類研究所がある実験を行いました。お母さんチンパンジーはこれまでの訓練で、パソコンの画面に不規則に並ぶ数字をすごい速さで「1」から順にタッチすることができます。数字を隠してもそれが表示されていた位置を覚えていて触れることができます。人間にも真似できない行動ですね。さて、子どもチンパンジーが取り組むのは、画面にリンゴのマークを出し、これに触れるとごほうびのエサがもらえるというチャレンジですが、なかなかうまくいきません。そばにいるお母さんが時折手を出してリンゴにタッチすると、子どもはそれを見てふたたびチャレンジします。一見、お母さんが子どもにやり方を教えているように見えるのですが、よく観察するとお母さんは子どもがチャレンジする様子を見てはいません。興味なさそうに別の方向を向いています。つまり、お母さんは子どもに教えてはいるわけではなく、子どもはお母さんの行動を見て真似ることで学んでいる、ということが言えそうです。チンパンジーは人間がすぐにはできないような高度なこともできますが、教えるという行動はしていないようです。

しかし、最近になって「教育」をしている動物がいることがわかってきました。それはミーアキャットです。マングースの仲間で、体を温めるために太陽に向かって直立する姿がときどきテレビなどで紹介されますね。ミーアキャットはサソリが好物なのですが、子が乳離れをする前に親が子に無理やりサソリの狩りの仕方を教え込みます。最初は大人が弱らせて動かなくなったサソリを与えて味を覚えさせることから始め、次に針のある尻尾を千切った生きたサソリを提供して捕獲させます。そして最後に尻尾がついたままのサソリを与え、子がこれを捕まえて食べられるようになったら卒業です。食べ物を獲るという限定的な条件のもとではありますが、教える力があるということです。

 

――ヒトはどのように学んでいるか?

 こうした動物に比べ、ヒトはあらゆることを「教育」できる特別な動物だと言えます。ヒト以外の動物は自然環境に適応して生きてきましたが、ヒトは社会や文化といった複雑なシステムにも適応してきました。土器や石器、貨幣などといったものを作り出して使うようになる中で、社会に適応しないと自然にも適応できなくなってきたのです。昔は家族という単位の中で教育が行われていましたが、時代が進むにつれて社会を形作っている知識や文化を学ばないと生きていけなくなりました。ヒトも元々は教育ということをあまりやっていなかったようです。しかし、世界最古の文明の発祥地として知られるメソポタミアでは、紀元前2000年ごろに「粘土板の家」と呼ばれる学校のような施設が存在していたことが確認されています。

 生きるためには食べ物を取る必要がありますが、そのこと一つを考えてみても、食材を採取する人、塩を作る人、皿を作る人、そして調理する人などたくさんの役割があります。それらの方法は、ある人から別の人へと伝えられていかなければなりません。ヒトはそれができる、どんなことでも教えて学ぶことができるのです。

 

 「教育」というのは素晴らしいことです。知識を独り占めせず、みんなに分け与えて共有します。そして一人ひとりが異なる知識を学習し、それを持ち寄ります。そのおかげで、一人だけではできないことをみんなが力を合わせることで成し遂げられるのです。こんなことができるのはヒトだけです。ですから、みなさんがこの「子ども大学よこはま」に集うことは、ヒトとしてとても大切なことなのです。ヒトはどのような知識によって生きているのか、その知識はだれがどのようにしてつくったのか、ここで存分に学んでください。世界は知識からできています。その知識は学ばないと使えません。世界をつくっているすべての知識を学ぶことはできませんが、これからの授業でさまざまな先生たちがそれぞれの知識を教えてくれます。ここで学ぶことをぜひ楽しんでほしいと思います。