· 

2025年度第2回授業 

 

グローバルに考えよう! これからの防災と復興

 

 

石川 永子(いしかわ・えいこ)先生

横浜市立大学国際教養学部都市学系准教授

令和7年9月13日(土)14:00―16:00

横浜市立大学ピオニーホール(横浜市金沢区)

受講者56人(4年生23人、5年生26人、6年生7人)

 

(以下、授業要約)

――はじめに

私はまちづくりと復興という視点から防災について研究しています。東日本大震災で被害を受けた宮城県南三陸町の復興計画のお手伝いをしたり、海外の災害現場にも行ったりします。先日も地震に見舞われたトルコを視察してきました。きょうは前半で世界の災害対応の話をし、後半はみなさんの住む地域が大きな地震に見舞われたという想定で被害を小さくするためにどう行動すればよいかをグループワークを通して考えてもらいます。

 

――国内の地震災害

 昨年の1月1日に起きた能登半島地震は記憶に新しいと思います。能登は地震が多く起こる場所です。昨年の地震ではたくさんの建物が壊れました。水や電気の供給が止まり、多くの人が避難所で過ごしました。避難所での生活は被災から1か月半が経っても続きました。災害直後に身を寄せる避難所は障がい者や高齢者が生活するには困難な環境です。そうした人たちのために2次的な避難所が開設されます。「福祉避難所」といって、高齢者施設や障害者施設などがあてられます。バリアフリー化されていたり段ボールベッドやプライバシーを保つためのしきりが設けられたりするので普通の避難所より過ごしやすい環境になります。能登半島地震では金沢市で広域避難とスポーツセンターなどへの1.5次避難が行われました。被災した家屋にとどまって生活する在宅避難を選んだ人も多くいました。避難した先でまず困るのはトイレです。汚れていると行きたくないので、水や食べ物を摂らなくなり栄養不足になったり体調を崩したりします。トイレはとても重要なのです。この状況を少しでも改善しようと、能登半島地震では全国からトイレカーが駆けつけました。

 能登のような大きな地震が大都市の横浜で起きたらどうなるでしょう。それを考えるために、1995年1月にやはり大都市の神戸を中心に起きた阪神大震災のケースを振り返ってみましょう。

 神戸市の職員が残した映像に被災者の暮らしぶりが記録されています。水道は使えず川で水を汲んでいる人がいます。建物は一階がぺちゃんこに潰れています。倒壊した家屋が道を塞ぎ車が通れないため自転車で移動する人がいます。生き埋めになった人の救出活動が3日目も続いています。営業を再開したスーパーには大勢の人が殺到しました。

 阪神大震災はボランティア活動のあり方にも教訓を残しました。近隣から救援物資を運ぼうとするマイカーの渋滞で救急車が通れない、たくさんのボランティアが駆けつけたものの指揮系統がうまく機能せずに救援物資が野積みのまま放置される…といったことです。また、阪神では火災が多発して被害を大きくしました。横浜でも同じことが起こると予想されます。

 

――海外の避難所

次に海外の避難所と仮設住宅はどんな様子か、写真で見てみましょう。日本、中国、台湾、トルコ、イタリア、ネパールの写真です。屋外の広場にテントを並べる所や体育館に毛布を敷いただけの所、仮設住宅は寝るだけの場所で共同の風呂や台所を別に設ける所などそれぞれ特徴があります。イタリアでは国が災害時にかけつけられるよう研修を受けたシェフを登録し避難所に駆けつけて料理を作ってくれます。ネパールは仮設住宅を整備する予算がないので、仮設住宅はごく一部しか建設されず、被災者にいくらかのお金を配って被災者自らが居場所をつくります。

対応が早いのは台湾です。避難所を利用するのはごく短期間で、環境の整った宿泊施設や賃貸住宅に移ります。災害直後の避難所ではマッサージのブースがつくられ、その後被災者の相談窓口も開設されます。NPONGOがベッドや仕切りなどの備品を多量に保管していて迅速に対応できるのです。観光地でもある花蓮という地域で昨年4月に起こった地震では、小学校に122世帯252人が避難し、キャンセルの出たホテルが宿泊客用に仕入れていた食料を提供しました。この場所は2018年にも地震が起きていて、その時の教訓を生かしたり他国の良いところを真似したりして絶えず備えを見直しているのです。

トルコも1999年のマルマラ地震、2023年のトルコ・シリア地震など地震が多発する国です。アパートや集合住宅に大きな被害が出ました。地震に弱いレンガ造りの建物が多く住民がその弱さを知っているので、上層階から飛び降りる人も多かったといいます。ただトルコは復興がとても早いのです。ハタイ県のアンタキヤという都市では何万人もの死者が出ましたがその郊外に復興住宅団地をつくったり中心部を再開発しています。少し離れたアドゥヤマンという都市も多くの被害がでたのですが周辺部に3万戸の復興住宅をつくりました。しかも、その事業をわずか2、3年で成し遂げてしまいました。日本でこの規模の住宅を整備するとなるといろいろ調整に時間がかかって完成まで5年や10年はかかるでしょう。その間に元の住民は他の土地に移ったりしていなくなってしまいます。トルコの復興が早いのは、全ての計画を国が決めてしまうからです。自治体や住民の意見は汲み取られません。住戸は抽選で決められ、自分たちがいくらお金を負担するのかも知らされません。国によって復興のスピードや内容もさまざまなのです。

グループワークではここまでお話ししたことを頭に置いてどう行動するか考えてみてください。

 

 

◇◇◇◇     ◇◇◇◇     ◇◇◇◇      ◇◇◇◇      

 

 

――被災したらどう行動する〈グループワーク〉

 授業の後半は5人ずつのグループに分かれてグループワークを行いました。

「きょうの午後3時、自宅でおやつを食べているときにマグニチュード7.3、震度6強の地震が発生。気温は33度。自宅には自分と母、弟がいて、家の窓が割れたが3人とも無事。父は仕事で都心に出かけており、祖父母は八王子に住んでいる」という想定で、翌日までどのようなことに困り、何をすべきなのかを考えます。自宅にいる自分たちのことだけでなく、離れている父や祖父母のことも考えなければなりません。

まずグループごとに、どのような地区のどういう家屋に住んでいるかを決めました。1丁目のグループは築10年ほどのマンション住まい。2丁目は築10〜20年の軽量鉄骨造の一戸建て。3丁目は木造の古い住宅が細い道沿いに密集した場所です。被災直後は周囲がどうなっているのか状況がつかめませんが、時間の経過とともに次第に状況がわかってきます。その様子を先生が3段階で示しました。

  地震発生から20分後

1丁目のマンションはおおむね無事、2丁目も目立った被害はなさそう。3丁目は古い住宅が倒れたようですが、大きな道路は人も車も通れています。

  4時間後

しだいに状況が明らかになってきました。1丁目は大きな被害は確認されませんが、マンションのエレベーターが止まって中に閉じ込められた人がいます。2丁目では停電が発生。建物の被害は小さいので多くの人が自宅で過ごしています。トイレが使えなかったり、食料が不足したりして困っています。3丁目では数か所で火災が起きています。家の倒壊などで道路が寸断されて消防車が来られず、地域の消防団が消火にあたっています。高齢者が家の下敷きになっているという情報もあります。小学校の校庭や公園に多くの人が避難してきています。

  発生から8時間が経った翌午前9時

1丁目のマンションの集会室に高齢者や高層階の住人が身を寄せていますが、トイレが深刻な問題になってきました。看護学校には怪我人がやってきました。2丁目の自治会館や団地公園では体調不良者のための相談コーナーが設けられ、炊き出しも始まりました。3丁目の火災は鎮圧されたようです。臨時の避難所になっている小学校やスーパーには100人を超える人が押し寄せ、生活物資や薬、介護用品などが不足しているとの訴えが寄せられています。2丁目、3丁目では盗難被害や水道管の破裂も起きています。地震による直接の被害は一段落したものの、避難所の混雑は続き二次災害の恐れもあります。避難生活が長引けば災害関連死も心配されます。父ともまだ連絡が取れません。

こうした状況の中でどのように行動すればよいのでしょうか。学生からは「日頃から水や食料を用意しておく」「避難所を増やし、そこまでの道を広くする」「トイレの確保が大変なことを理解しておくことが大事」「停電や断水への対策を強化する」「だれがどのように支援をしに行くか決めておかないと混乱する」「海外の被災地の知恵を生かす」「きょう学んだことを多くの人に知らせたい」など多くの意見が出されました。

最後に石川先生からは「行政の救援活動が機能し始めるまでにはおおむね3日間程度かかります。その間どのように過ごすのか、きょうのシミュレーションを参考に、家族とふだんから話し合っておきましょう」との宿題が出されました。